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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2025年11月9日礼拝メッセージ
 マタイ28:18~20 「主の命令」


 大宣教命令と呼ばれる個所だが、そもそも宣教とは何か。未信者に伝道する事か。いや、宣言し(宣言を)教える事であるがゆえ、信徒に教える事…それも宣教なのである。
 そこで「主の命じた全ての事を守る様に教えよ」だが、全てを守らなければ失格・地獄と言うなら、それは律法主義だ。しかし「神を愛し隣人を愛する」事によって、全ての事を守る…が可能となる(マタイ22:37~40)。ただし「隣人を愛する」とは、救霊の思いと行動の事(それが神の愛)なのであって、親切にしたり仲良くする事とは違う…という様な事を教えなければならないのである。
 次に「あらゆる国の人々を弟子とせよ」だが、誤解してはいけない。これは「全ての人をクリスチャンに…」ではなく「これからは異邦人にも伝道せよ」という事だ。
 続いての命令だが「父・子・聖霊の御名によってバプテスマを…」なのか「イエス・キリストの御名によって…」なのかという論争がある。だが、それは本題から外れた事だ。実はこれは「神の御名の中に浸せ」という命令なのである。と言うのは「によって」は、ギリシャ語の「エイス(~の中に)」となっているからである。もし「誰の名前によってなのか」と言いたい時は「エン」でなければならないからだ。要するに主は「洗礼を受けて弟子となった人を、更に神様漬けにせよ」と命じられたのだ。決して洗礼式の事ではない。勿論、洗礼式は必要だが、この命令は更にその上を行く。「弟子達を神の御名の中に漬け込め」…それが大宣教命令なのである。一夜漬けでは神の御心が染み込まないからだ。キリストに似た者になるなど程遠い。
 この大宣教命令が下された理由・根拠は「主には一切の権威が与えられている」からだ。つまり、救いも裁きも、主に権威があるからなのである。その権威ある主は「いつも、あなた方と共にいる」と言われた。「あなた方」とは誰か。全ての人ではない。主の命令を守る人の事だ。では主の命令とは何か。どの命令を守ればいいのか…それを教えろと主は言われているのである。主がその人と共にいる為だ。
 私達は、主が共にいて下さる者でありたい。

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