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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2026年9月27日礼拝メッセージ>
 マルコ12:13~34 「質問ですから」


 デナリ銀貨にはカイザルの肖像が描かれていた。だからカイザルのものだカイザルに返せ…という事ではない。問題は銘(「神であり大祭司」と彫られていた事)だ。主は「それは誰の事(銘)か」と問うたのである。すると「カイザルのです」と言うので「カイザルが神ならカイゼルに返せ。それとも神が神なら神に返せ」と主は言われた。つまり「カイザルと神、どちらが神か」という問題なのである。
 次に、復活を信じないサドカイ人の難問。同じ一人の女性と結婚した7人の兄弟は復活の時、誰がその女性を妻とするのか。主は、それを「思い違いだ。聖書も神の力も分かってない」と言われた。天国では結婚も出産もしない天使の様になる…それが聖書であり神の力だ。つまり復活は、この世のシステムの中に生き返るのではないのである。
 そして「一番大切な命令は何か」という質問。主の答えは「心を尽くして…神を愛せ。隣人を自らの様に愛せ」だ。神を愛せ…はいいが、隣人を愛せ…これが難しい。でもやらなきゃ…と思うし、出来ない自分を卑下する。クリスチャンにとっての永遠の課題なのかもしれない。だが、主に言わせれば、それは「聖書を分かってない」という事だ。何故なら、その問答は、あくまでも「律法」についてだからである。主が言われた二つの戒め(全ての律法がそれにかかっている)を行えという事は、律法を全て行えと言うのに等しい。勿論、神を愛すのは良い。しかし「隣人を自らの様に愛せ」は、最高の律法なのである。もし、それが出来るなら、その行いは(あくまでも、行いは)立派だ(ヤコブ2:8)。しかし、それが主の絶対命令だ、実行すべし…と言うなら律法主義である。そもそも主は、そんな命令をしていない。ただ、律法についての質問に答えただけだ。そして、その答えは正しい。だが、それは福音ではないし、クリスチャンへの命令でもないのである。
 「この二つより大事な命令は無い」…そう、それは、律法の中には他には無いという事だ。そして福音の中には、そんな律法は無い。神を愛する事は「戒め・命令」によって強制されるものではなく、自発的になされる事である。「律法の中に生きる」生き方から「恵みの中に生きる」生き方へと悔い改める事(方向転換)が必要だ。

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