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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2026年1月25日礼拝メッセージ
 マルコ2:23~3:6 「人間のため」


 律法は、隣人の畑の穂を手で摘む事は許可している(申23:25)。だがそれを見たパリサイ人達は怒った。それが安息日だったからだ(23~24)。穂を摘む事を刈り入れ(労働)だと解釈したのである。勿論、主はそれを罪だなどと思ってはいない(25~26)。すると主は、法・秩序の破壊者なのか。いや、平和の君だ。では何故、主は安息日にも働いたのか。それは「父は今に至るまで働いている」(ヨハネ5:17)からだ。
 定説では「神は7日目に休んで、それを聖とされたのだから7日目は安息日、働いてはならない」という事になっている。だが、それは間違いだ。神は休んでいない(と主は言われた)のである。
 確かに律法には、安息日には働くなとあるが、その発端はマナだ。それは土曜日には降らない(金曜に2日分降るから)と神は言うのに、従わず、あくせくする人々がいたので、民に神への信頼を学ばせる為に土曜日(7日目)は働くなと命じたのである。なのに、それが形骸化して、単なる無意味な規則に成り下がってしまっているだけなのだ。
 続いて、すぐに主は手の萎えた人を癒したが、癒す事が目的なのではない。「安息日に働いて何が悪いのか」と主張する為だ。問い掛けられているのは「安息日にしていいのは殺す事か、生かす事か」なのである。それを、癒しに注目し過ぎて見失ってはいけない。
 律法は、人を縛る為ではなく、キリストに導く為のものだ。その為に使うなら、律法は聖く、良いものだとパウロも言う。つまり、人を縛る為に律法を使うのは、悪なのだ。律法によって人が苦しむなら、律法は悪魔の道具となってしまっているという事だ。
 安息日(に限らず、律法全て)は、人間をキリストに導く為のものだ(27)。だから、安息日に働かない事より何より、一番重要なのは、キリストを主とする事である。キリスト無くして命は無い。そのキリストを差し置いて、律法が優先されるなら本末転倒だ。全ての権威は主にある(28)。それでも、イエスを葬り去ろうとした(主に逆らう)人達は(3:6)、やがて主によって自らの魂が滅ぼされる事に気付いていない。主は安息日にも、終わりの時にも、主だ。私達は、神の国に至るまでずっと、イエス様を主とする者でありたい。

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