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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2025年11月23日礼拝メッセージ
 マルコ1:2~4 「整いました」


 バプテスマのヨハネは、神の計画によって主の道を整える為に遣わされた。果たして、主の道は整った(真っ直ぐになって、主は苦も無く・拒否や反抗等される事なく歩めた)のか。いや、主は拒まれた。ではヨハネは使命を果たせなかった(神の計画は失敗した)のか。
 ポイントは、ヨハネの使命(主の道を整える)とは、どういう事なのかである。それは、聖書全体が示す神の計画(2~3)の通りに、罪が赦される為の悔い改めのバプテスマを説く(4)事である。ただ注意すべきは、ヨハネのバプテスマを受ければ罪が赦されるのではないという事だ。罪が赦されるのは、真の悔い改めによるのであって、そこに導く為のヨハネのバプテスマなのである。だからヨハネは「悔い改めよ」と叫んだ。それが聖書全体の示す神の計画だから、その通りに。
 では、悔い改めるべき罪(的外れ)とは何か。ユダヤ人は皆、聖書の神を知っている。それでも何の的が外れているのか。それは、信仰の的だ。例えば律法主義、あるいは形骸化した信仰…それらを悔い改めて福音(キリスト)を信じるべきなのである(使徒19:4)。それを説くのが「悔い改めのバプテスマ」であって、その為に遣わされたヨハネの、その使命は果たされたのである。だから、ヨハネのバプテスマを受けた人は、キリストの元に行き、キリストを信じ受け入れなければならない。それが「悔い改め」であって、そうすれば救われるのだ。その様に、主の道は整えられた。だが、人々は悔い改めなかったのだ。
 改めて、救いの条件は、善い人や完全な人やキリストの似姿になる事ではない。悔い改める事だ。それが聖書全体が示す神の計画である。所が「いいや、それだけではダメだ」と思わせる、それがサタンの策略だ。もっと祈らなければ神に見捨てられる…、もっと成長しなければ…、もっと、もっと…でないと神に喜ばれない…と思うなら、まんまと惑わされているという事である。クリスチャンは、悔い改めてキリストを信じた時点で神に喜ばれているのだ(ルカ15:7)。ただし、そのあと、信仰が曲がってしまったら神に喜ばれはしないが。
 だから、純粋な信仰(悔い改める事が、聖書全体の示す神の計画だという事)を保つ事が必要なのである。そうすれば救われる。

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