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CROSSROAD GOSPEL CHURCH
Bible Message
毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
ローマ10:17


<2026年3月29日礼拝メッセージ>
ヨハネ12:23~25 「イースター記念(直前)棕梠の主日・合同礼拝」
主は十字架で殺される事を「栄光を受ける時」と言われた(23)。普通は、優勝とか金メダル等、何か目的を達成した人が栄光を受けるものだが、十字架で死ぬ事がなぜ栄光なのか。それは、十字架こそがキリストが来た目的だからだ。救いの道を開くという、その大きな目的を達成する時だから「栄光」の時なのである。そして、自らを「一粒の麦」に喩えて「十字架で死ぬ(一粒の麦が落ちる)事によって豊かな実が結ばれる」と言う(24)。その実とは、信じる者に罪の赦し・永遠の命・天国が与えられるという豊かな実なのである。
一方「一粒の麦」は、人間の事をも指すと言えるだろう。何故なら、人は誰でも必ず、死ぬ(地に落ちる)時が来るからだ。ただし、死んで豊かな実を結ぶかどうかは人それぞれであって「死んだらお終い。天国なんか無い」と言う人は、死んでも何の実も結べない。自分自身が言う様に「死んでお終い」なのだから。しかし、キリストを信じて罪が赦されて「死んでお終いではない」と確信する人は、天国で新しい命を生きる。全ての悩み・苦しみから解放されて喜びと平安に満ちる。そんな豊かな実を結ぶのだ。
その様な人生になる為にと、主は「自分の命を憎め」と教える(25)。問題は「自分の命」とはどんな命の事か、だ。多くの人は「地上の人生だけ」を自分の命と考え、それだけを守ろうとしている。だが、その愛する命(地上の人生)は必ず失われる時が来るのは事実だ。それが「自分の命を愛する者はそれを失う」という事だ。だから「死んでお終い…なんて、そんな虚しい人生は嫌だ。そんな悲しい結末を迎える人生なんて大嫌いだ」と言う人が「この世でその命を憎む者」なのであり、その人は永遠の命に至るという事なのである。それを約束する為に主は甦られた。
加えて、恵みなのは「死んでお終いという人生を憎む」人は「それを保つ」と言う所だ。「それ」とは…地上の人生である。つまり、その人は、ただ天国に入れるだけでなく、この世の命・地上の人生を生きる為の力が与えられる(それを保つ)という事なのである。私達は、十字架を感謝し、復活を喜び、それを自分の命としよう。
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