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CROSSROAD GOSPEL CHURCH

Bible Message
毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
ローマ10:17


<2025年6月1日礼拝メッセージ>
マタイ25:1~13 「ともしび」
未だ「世の終わりについて」の教えである。ゆえに結論は「聖霊に満たされていなさい」ではなく「再臨の時を知らないのだから、目を覚ましていなさい」(13)なのである。そして、その結論は既に24:42で語られていた事であり、要は、再臨に備えてどうするべきか(その心構え・信仰の在り方・注意すべき事)が教えられているのである。
さて、花婿は再臨の主を表している。そして主は「私はすぐに来る」と言われたが、再臨は二千年経ってもまだだ。花婿が遅くなる事が設定済みという事を考えると、主は初めから、すぐに来るつもりなんか無かったのではないか。やはり「すぐ」は「たちまち」(24:29新共同訳)なのだ。いずれ時が来れば、一気にそれは起こるのである。
そこで問題は、何故遅く来るのかだ。早い方が良いのではないか。この喩えでは「夜中になって」である。眠くなるのは当然だ。そして娘達10人全員が眠ってしまったのである(5~7)。だから「目を覚ましていなさい」とは「気付いていなさい」という事なのだ。
娘たちの違いは、5人は油を切らした事であるが、彼女達も油の必要性は知っていたし、買いにも行って手に入れもしたが主人に拒否された(8~12)。神から「あなた方を知らない」と言われたのは、御心を行わない(不法をなす)者だ(マタイ7:23)。致命的な問題だ。それと同じ位に致命的な問題が愚かな娘達にはあった。それは「灯火を整えてなかった」事である(25:7~8)。整える為に油は勿論必要だから、聖霊は無関係という訳ではない。だが油だけでなくランプも必要(それが灯火)だ。つまり、再臨に備えて整えるべきは灯火だという事である。そして、信仰者の歩みの為の足の灯火と言えば、それは勿論、御言葉である(詩篇119:105)。その御言葉を疎かにする悪い羊飼い・偽教師・偽預言者達がいるのだ(24:45~51)。彼ら「はげたか」は死体(死んだ様な信仰の人)に集まって来る(24:28)。だから、寄せ付けない様に御言葉の灯火を整える必要がある。それを教える為に「悪いしもべ頭」の喩え(24:45~51)の次に「そこで」(5:1)と10人の娘の喩えが始まるのである。だから「目を覚ましていなさい」とは、再臨に備えて偽りに惑わされない様に「真理に気付いていなさい」なのだ。
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