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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2026年8月23日礼拝メッセージ
 マルコ10:32~45 「ピンボケ」


 主が先頭に立ってエルサレムに向かうので弟子達は驚き恐れた。受難予告を聞いていたからだ。そんな弟子達に主は更に具体的な受難予告をされたが、弟子達はまだ出世争い・権力争いをやめない。それは弟子達は12大臣になれる(マタイ19:28)と思っていたからだ。ピントがずれているのである。それにしても、頼み方もおかしい。口語訳では「先生、私達がお頼みする事は何でも叶えて下さる様に」だ。「頼み」の体をなしていない。権威ある英語の訳もそうなっている。それで主は「あなた方は自分が何を求めているか分かっていない」と言われた。
 そこで主は、弟子達を呼び寄せて言われた。「人の先に立ちたい・偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になれ」と。それは「キリストが仕える(贖いの代価として十字架で死ぬ)為に来たのと同じだ」と。するとまさか、キリストは人の上に立ちたくて(偉くなりたくて)十字架にかかったのか。42~45節を文字通りに受け取れば、そうなるが、そういう事でいいのだろうか。いや実は、これは、異邦人との対比を語っているのである。つまり、異邦人は偉い人たちが権力をふるい、支配する(42)。それに対してイスラエルではどうなのかが問題だが、その点、弟子達でさえ出世争い・権力争いをしているのである。尚の事、宗教指導者達はもっと酷い。異邦人と何ら変わりが無いのだ。だから主が言いたいのは、神の民はそうあってはいけない、という事で、出世・権力などは神の国に相応しくないのである。すなわち、偉くなりたいという考え自体が、この世のものなのだ。それは、この世というものが弱肉強食の世界だから仕方が無いのだけれども。しかし、神の国は違う。神の国においては、偉くなる必要が無いのである。だから「偉くなりたいと思いう者は…」というのは嫌味・皮肉なのであり、決して「仕える者が偉い」と言いたいのではない。むしろ「偉くなりたいと思うな」という事なのだ。
 仕え合う…それは良い事ではある。けれども、仕える者が偉いという論理で仕え合うなら、それは、どっちが偉いかという争いをするのと同じだ。ピントがずれている。仕える力に乏しい弱い人に躓きを与えてはいけない。ただ主の憐みにすがって生きる者であろう。

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