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CROSSROAD GOSPEL CHURCH

Bible Message
毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
ローマ10:17


<2025年8月17日礼拝メッセージ>
マタイ27:1~10 「不幸な羊」
ユダヤの議会において死刑確定とされた主は、いよいよローマの法律によって裁かれる為にピラトのもとに連れ出された。その時ユダは「罪の無い人の血を売った」と悔やんで首を吊った。とは言え、それは「イエスは罪の無い神の御子」という意味ではない。「イエスは死刑になる様な罪は無い」という事に過ぎない。
因みに、たとえキリストを信じていても自殺したら地獄だという意見がある。それは突き詰めるなら、何の罪も無い完璧な人でなければ天国に入れない(キリストを信じる時の悔い改めは意味が無い)という事になってしまう。一方では逆に、自殺は罪ではないという意見もある。遺族を傷付けない為には「自殺しても地獄ではない」と言いたい…その為には「自殺は罪ではない」という事にしなければならない…という論法だろう。だが、どちらも問題の本質を履き違えている。
信仰から出ていない事はみな罪(ローマ14:23)だが、果たして自殺は信仰から出ている(ゆえに罪ではない)のか。そもそも罪の概念が間違っている。罪とは「的外れ」の事である。では、自殺は的を射ている(正解・当たり)か。いや遺族は悲しむ(生きていてほしかったと思う)のではないか。そう、自殺は的を射ていない。的外れ(罪)なのだ。その的外れ・罪を赦すのがキリストの十字架なのだから、クリスチャンが自殺したからと言って、それで地獄という事にはならない。
さて、ユダが投げ入れた銀貨で祭司長達は陶器師の畑を買った。これが預言の成就だと聖書は言う。端的に言えば、キリストの型としての良い羊飼いゼカリヤをイスラエルは拒んで、賃金として銀30枚を払った。それを神は「私の値段だ(安く見積もられたものだ)陶器師に投げ与えよ」と言った(ゼカリヤ11:12~13)。その通りに、イスラエルの指導者達は、良い羊飼いキリストを拒んだのである。何故なら、彼らは悪い羊飼いだから、彼らにとって良い羊飼いは邪魔なのである。
その様な悪い羊飼いに飼われる羊は不幸だ。羊飼いがいない以上に弱り果ててしまう。だから「羊飼いの声を聞き分けよ」と主は言われた。そして「私の羊は私の声を知っている」と。すなわち、キリストの声(本当の教え)をだ。主の羊とされて主の声を聞き分けよう。
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