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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2025年12月14日礼拝メッセージ
 マルコ1:16~34 「現状は如何に」


 既にバプテスマのヨハネの弟子となってはいたが、ヨハネが捕えられたので仕方なく漁に戻っていたアンデレ達。そこへ「神の小羊」とヨハネが言ったイエスが現れ「ついて来い」と言う。再び神の道を歩める、渡りに船だとばかりに、すぐに全てを捨ててついて行ったのだ。
 さて、律法学者の口先だけの教えしか聞いた事が無かった人々は、イエスの権威ある教えに驚いた(21~22)。しかし問題は、そのイエスをどう認識するかだ。悪霊はイエスに「私達を滅ぼしに来た」と言う(23~24)が、これはミスリードである。キリストは福音を宣べ伝える(十字架で救いの道を開く)為に来たのだ。悪霊を滅ぼす為だけなら何も地上に来なくても出来る、それが全能の神だ。しかし、罪の無い人として身代わりに十字架で死ぬ為には、地上に来るしかない。その十字架・福音から人間を遠ざける為に悪霊はわざと言うのである。だから主は「黙れ!」と言って悪霊を追い出した(25~26)。その結果「イエスは悪霊を追い出す」という評判が広まってしまった(27~28)が、サタンもさるもの、キリストの妨害をやってのけたのである。
 キリスト教でなくとも、他の宗教にも奇跡・癒しが起こる事がある。だが、罪の赦し・永遠の命・天国は聖書にしか無い。だからこそサタンは、人間を十字架から遠ざけたい(奇跡・癒しに目を向けさせたい)のだ。そんなサタンの思惑が見て取れる出来事であり、悪霊追い出しも手放しでは喜べない。ただ、シモンのしゅうとめの熱病が癒されたのは心温まるエピソードだ(29~31)。しかし人々はひたすら癒しを求めて殺到する。主も憐みのゆえに癒す(32~34)。そこでも主は、悪霊がものを言うのを許さなかった。それは「悪霊共がイエス(が十字架で救いの道を開くという事)を良く知っていたから」である。そこから人々の目を逸らさせる為の悪霊の発言を封じたのだ。
 だから、キリストは悪霊を追い出すお方だと思うべきではない。キリストは悪霊を滅ぼすお方なのだ(ただし、最後にはだが)。それまでは、毒麦と同じ様に、ある程度放置なのである。それが現状だという認識を持たなければ悪霊追い出しに振り回されてしまう。私達は、正しい認識を持って、真理を掴んで、主について行こう。

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