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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2024年4月14日礼拝メッセージ
 マタイ14:22~36 「信仰のスタイル」

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 沈みかけたペテロに「信仰が薄い」と主は言われた。勿論、信仰は厚いに越した事は無い。何とか、厚い信仰を持ちたいものである。
 そこで、まずペテロは何故、水の上を歩けたのか。それは勿論、信じたから(信仰によって)である。すると、沈みかけたのは、疑ったから、という事になる。そう、疑わずに信じ込めば沈まなかったはずだ。そこまではいい。しかし、その論法で言うなら、信じれば何でも出来る、空も飛べるという事になるが、誰か空を飛んだ人がいるだろうか。水の上を歩いた人さえいない(ペテロ以外は)。
 根本的に、信仰とは何か、である。思い込みと信仰をゴッチャにしてはいけない。自分の目標・夢…を、神の導き・計画にすり替えるのも頂けない。信仰の父アブラハムは、年老いた自分に子供が出来る事を、自分で勝手に信じ込んだのだろうか。いや彼は、むしろ否定した(最終的には神の言葉を信じた)。ペテロは一番弟子の自負で「俺なら出来る」と、浅はかにも信じ込んだのだろうか。いや、主が「来なさい」と言われたから信じたのだ。そう、神の言葉は必ず成ると信じる…それが根本的な信仰である。なのにペテロは疑った。主の言葉を、だ。その事を「信仰が薄い。何故疑うのか」と主は言われたのである。
 荒唐無稽な事を信じるのが信仰なのではない。とは言え、私達の信じている永遠の命・天国・復活…に対して「バカバカしい」と言う人もいるかもしれない。しかし私達は、勝手に空想して信じ込んでいるのではない。神の約束だから、それは必ず成ると信じているのだ。それが信仰なのである。水上歩行の奇跡は、それを教えるのであって、忍術教室ではないし、人生の荒波の乗り越え方講座でもない。ただ、人生の海で溺れない為に「主から目を離すな」という教えは正しい。それはヘブル12:2にもある通りだ。しかし、そうしていたはずの使徒達も迫害にあって死んだ。ゆえに、そこでモノを言うのが「天国の約束を信じる信仰」なのである。
 神の約束は何か。キリストに何を求めるべきか。罪の赦し、天国、復活による完全な癒し…それらを、信じる者に与える、それが神の約束だ。それは必ず成る、と信仰を厚くする者となろう。
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