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Bible Message

毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
 
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
                                 ローマ10:17
<2025年9月14日礼拝メッセージ
 マタイ27:45 「闇の中で」


 主が息を引き取られる直前、全地が3時間暗くなった。春の満月の時期に日蝕は起きないし、日蝕ならせいぜい数分間のもので3時間は有り得ない。だから、特別(異常)な出来事だったのである。
 そこで、新改訳聖書2017年版では「闇が全地を覆った」となっていて、ギリシャ語や英語の聖書も「闇が…」となっている。「闇」はギリシャ語で「スコトス」で、宗教的には「神から切断された世界」を意味する。つまり、ただ単に空が暗くなっただけでなく、神の光の無い暗黒が全地を覆った、という事なのだ。神の御子が罪ある人間に殺されるというのはそういう事だろう。真っ黒のドロドロの暗黒に陥ったのだ。だから主は予め言われた。「光ある内に光の中を歩め」と。
 すると、主が死んだ(光が消えた)ので、もはや人間には何の希望の光も無いのか。いや、主が甦って今も生きていると信じる者には光がある。それを示す「型」が出エジプト10:22~23だ。約束の地に向かう直前、モーセが天に手を指し伸ばした時、エジプト全土は3日間真暗闇となった――「しかしイスラエル人の住む所には光があった」ここが大事な所である――その「型」通りに主の死の間際に闇が全地を覆った。そして次は、主の日が来る前に暗黒が世界を覆うのである。すなわち、再臨が近付けば近づく程、闇の世になるという事だ。教会も堕落し背教が起こる。それが主の預言(聖書の既定路線)であり、現実である――しかし、キリストの真の弟子には光があるのだ――ヨエルも言っている。主の日が来る前に太陽は闇となるが、主の名を呼ぶ者は救われる、と(ヨエル2:31~32)。ただし、口先で主の名を呼べばいいという訳ではない。必要なのは信仰であるのは言うまでもない。果たして「主の名を呼ぶ者」とは、どんな人か。それは…暗黒の、何の希望も無い恐怖の時、多くの人は叫び、狂乱し、パニックになるだろうけども、そんな切羽詰まった時に、ひたすらに主に信頼して、その名を呼ぶ、それが「主の名を呼ぶ者」なのだ。そんな人が救われる。
 平安の時に、主の名を呼ぶのは(賛美するのも)容易い。しかし、闇の中にいる時にも、主に信頼し、主の名を呼ぶ…それが真の信仰者である。私達は、そういう人でありたい。

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