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CROSSROAD GOSPEL CHURCH
Bible Message
毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
ローマ10:17


<2026年10月25日礼拝メッセージ>
マルコ14:17~50 「わたしを覚えて」
過越しの祭りに行われた最後の晩餐。それは今では聖餐式という事になるが、そもそも祭りというものは何の為に行われるのか。それは「忘れない為」だ。そこで主は言われた。「私を覚えてこれを行え」と(ルカ22:19)。確かに…主の十字架の苦しみはいか程だったか…、主はこんな私の罪の為に身代わりに…と、聖餐式には、それを思わずにはいられない。だが、主は決して、同情を求めている訳ではないのだ。私達が覚えておくべき事…それは、最後の晩餐は言わば「キリスト契約」なのであって、契約を結ぶ為に(過越しの祭りに従って)飲むべき杯、その4杯目は御国(小羊との祝宴)でだという事である。だから私達は、御国に入る為にパン種を取り除き続けるべきだという事なのだ。故に、過越しの祭りと種無しパンの祭りは同時に行われるのである。とにかく「キリスト契約」は、まだ完了していないという事を覚えておかなければいけない…それが聖餐式なのだ。
そこで、パン種とは何かだ。それは、信仰を腐敗させる原因となるもの…偽りの教えや聖書の誤解・曲解・勘違い、あるいは御心に逆らいたくなる心、等々だ。例えば、眠りこける弟子達に主は言われた。「誘惑に陥らない様に、目を覚まして祈り続けよ」と。誘惑とは? 睡魔の事だと思われがちだが違う。主は御自分の事を実例として話されたのである。つまり、主の心は燃えていた(十字架こそ使命!)。しかし、完全な人としての弱さも持っておられた。だから主はゲッセマネで、もだえ苦しみながら祈られた。そうしないと、御心から逃げたいという誘惑に飲まれそうになるからだ。であるならば、人間は尚の事である。神の救いの計画に反抗したくなる(行いの正しさを追求したくなる)、善人にならなければ…と考えてしまう。それらが誘惑であり、パン種なのだ。だから、それらに抗って、純粋な信仰を守る為に目覚めて(騙されない様に、惑わされない様に、霊的に気が付いて)祈る必要があるのだ。聖霊の助けを求めて。
そういう事を思い出せるのが聖餐式なのである。キリスト契約の完了(御国で4杯目の杯を飲む)まで、パン種を取り除き続けよ、振り落とされるな…という事だ。その事を覚えよう。
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