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CROSSROAD GOSPEL CHURCH

Bible Message
毎週の礼拝で語られる聖書のメッセージ、その要約です。
バックナンバーのページでは、音声(録音したメッセージ)も聴けます。
ダウンロードも自由です。どうぞ、お聴きください。
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』
ローマ10:17


<2025年10月26日礼拝メッセージ>
 マタイ27:62~28:6 「聖書を?」
 安息日であるにも拘らず、禁を破って自ら異邦人(ピラト)に接触した祭司長達の目的は、イエスの墓の番をしてもらう事だ。弟子達は主の遺体を盗む度胸などもはや失っていたのにである。しかし、この処置が結果的に主の復活の(盗まれたのではない)証拠となった。
 さて、復活の朝、番兵達は天使を見て、非常なショックを受けた。それは任務失敗に伴う刑罰(死刑…十字架)を恐れる余りの事だろう。だが問題は、天使は何の為に来たのかだ。主を墓から出して差し上げる為ではない。復活の主は壁をもすり抜ける栄光の体だ。天使は、マリヤ達に空の墓を見せる(主は復活したと教える)為に来たのである。何故なら、その時点ではまだ誰も復活を信じていないからだ。復活は聖書の預言であり、主御自身も何度も前もって語られたのにである。
 弟子達だけに限らず、人間は、自分が信じられる範囲でしか信じない傾向がある。それだけならまだしも、厄介なのは、自分が信じたい事しか信じないという事だ。たとえ真実に対してでも、それが自分の望む事でないなら目をつぶる。しかし、私達は信じるべきだ。自分の願いではなく、神の言葉・神の約束を(ルカ16:27~31)。あえて言えば、聖書を丸ごと信じるのではない。聖書には、愚かな人間の間違った言葉も沢山あるからだ。例えばヨブ記。だから信じるべきは、聖書に込められた「神のメッセージ」である。そして「それ」が何であるかを知る為に聖書を調べるのだ。つまり、聖書の文字面を鵜呑みにしてはいけないという事である。何故なら、聖書そのものが永遠の命なのではなく、聖書の中に永遠の命への道があるのだからだ(ヨハネ5:39)。
 そういう訳で聖書は、じっくり読み込んで調べる必要がある。聖書が証言しているのは何なのか、を。そして悟ったら、それを信じるのである。パウロも、よく考えてから信じるべきである事を言っている(Ⅰコリント15:2)。勿論、まずキリストを信じるのが先決で、そのあと聖書をじっくり学ぶ・調べる・考える…が通常だが。最悪は、聖書を悟らないまま自分の信じたい事を信じ続ける事だ。それが、いびつなキリスト教を作り出す一因である。私達はキリストの真の弟子となる為に、留まるべき御言葉は何かを探し求め続けよう。
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